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額縁づくり _ その2

このところ「絵の額縁」を作ることが多くなりました。

1年ほど前のブログで紹介したように、ヒョンナきっかけで額縁を作ったところ、、、
意外に(一部で?)好評(^^♪ 調子に乗って作り続けています。
参考:2020.06.04 Thu 額(額縁)づくり

その後、FBにて投稿した内容などを再編集してご紹介します。

■3月11日
今日は温かな一日、心静かに久しぶりの木工をしました。
あこがれのナヲコラヴ画伯の個展用の額を頼まれる光栄に巡り合い、打ち合わせをしていて出てきたアイデア、名付けて「マトリョーシカ額」!
一枚の板からズンズンくり抜いて、サイズの異なる額を作る❕

幅:約50cm x長さ:約70cmのスギ板に切断線を入れてあります。
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板の中の直線切りはどうしようかと模索し、結局丸ノコで押さえつけるように切り、コーナー部は手ノコで切りました。
基本的にはこの繰り返しですが、内側にゆくに従い、板厚を5mm程度薄くすることにしました。
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ハイ、出来ました❗️
なんだか、インドの階段井戸の模型みたいです。
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木目の表情が面白そうなところを選んだので、期待通り!
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結構いい感じなので、午後には急遽ナヲコさんに来てもらい「製品(中間)検査」
彼女はこの額を見て、なにかを感じて絵を描いてくれました。
こんなキャッチボールが出来ることはとても幸せなことです。
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ありそうで見たことないモノたちです。
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真ん中の板の中にもう一つ額を作る予定でしたが、この木目が妙に魅力的なので、これは額にしないでオブジェにしました。
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■3月16日
額の板が厚いので、内側に大きめの面取りをしました。
道具はこんなものと、オーピダルサンダー。
木が優しくて柔らかい表情を持っているので、なるべくシャープな面取りにしてみました。
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裏面には、裏板・絵・マット紙・アクリル板を納めるために溝を掘りました。
ちゃんとアクリル板(又はガラス)を入れる額をつくったのはこれが初めて。
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小さめの額の一つは、若干丸めた感じにしています。
今日は#150のサンドペーパーまででしたが、この先は#240で仕上げ、蜜蝋を塗り、最後に#400まで行きました。
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結構上品な仕上がりになりそうです。
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■3月21日
さて、焼印を押していよいよ完成❗️
本邦初公開の額縁裏面。これは小さい方の2つ。
四周に幅≒10mm x 深さ≒10〜15mm(額のサイズにより異なる)の溝を掘り、そこに表から順番にアクリル板、マット紙、絵、合紙(スペーサーとしてのスチレンボード)、裏板と重なりますが、マット紙と絵はまだなので、合紙を複数重ねています。
裏板をとめている金具がトンボという名前なのだと初めて知った、新米額縁作家の習作です。
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4つ出来上がって、2つペアで内側合わせにして重ねたところ。
10日間かけてコツコツ作りました。
一気に作ると(歳だから疲れてきて)雑になりそうなのと、粉塵が出る工程とその逆などがあって私の服装も変える必要があるので、半日ずつ程度の作業を日を開けて続けるのが、額縁づくりには合っていました。

さぁ、どんな絵がやって来るのか楽しみです。
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■3月23日
絵が入る前に、完成したマトリョーシカ額縁が勢ぞろい!
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上記以外に、古材を利用した大き目の額縁を2つ作りました。
これは「くまさん」が入ります。
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これには「僕まち」の表紙の原画が入ります。
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■4月4日
ナヲコラヴさんと一緒に、しばらく前からつくっていた額にナヲコさんの絵を収め、金具などをつける額装の作業をしました❗️
4月8日(木)〜 藤野ライトハウス にて開催される
『ココロノ 象 ノ 庭 〜 ナヲコラヴの絵と長崎克央の額縁 展 〜』です!
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■4月7日
藤野ライトハウスに展示したところ。
手前にクマさん、右側にマトリョーシカ 4点セット。
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こちらは反対側から。 手前に「僕まち」の表紙の原画。
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■オマケ
マトリョーシカ額の中央にあった約210x 140x 30mmの板の四周を45度にカットして、その端材で台と足をつけました。
斜めから見ると、エッジがシャープにみえて、木製のiPad miniを斜めに立てた感じ?
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横から見るとズングリとまぁ安定しています。
何しろ大切なガネーシャさんが載るのですから、シッカリしていないとね❣
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ガネーシャと私の出会いは、確か1982年に2度目のインド旅行をした際に、ちょうどデリーでアジア競技大会(アジアのオリンピック)が開かれていて、その時のマスコットがガネーシャだったことによります。
ガネーシャはヒンドゥー教の神で、それまでは違和感を持って眺めていましたが、インドのアチコチでカワイイガネーシャを見ているとなんだか親しみを持つようになり、Tシャツや小物などを好むようになりました。
この彫像は、数年前に7(8?)回目のインド旅行をした際に、ヴァナラシで求めたものです。
木工作業を始める際にそばにガネーシャを置き・お香を焚きながら、今日も怪我にないように・良いモノが出来ますようにと心の中でイメージすると、なんとなくそうなる気がします。
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西洋建築をとりまく大雑把な歴史

20200923 筆者 個人記録用

■共和政~帝政ローマ時代 西洋建築のルーツ BC5~AD5世紀ごろ
建築に限らず様々な文化的な側面において、ローマ文明はそれまでの地中海沿岸の様々な文明の
英知を集大成させたもので、多様性と高い機能性を持ちつつ、人間的で豊かな表現に溢れている。
ローマ時代には多くの建造物:水道橋、大浴場、パンテオン、コロッセオなどの土木・建築の
都市インフラが数多くつくられ、一部は現在も活用されている。
イタリアに限らず、地中海沿岸のほぼ全域、現在のドイツ、フランスやイギリスにもローマ遺跡
があり、それらの都市を繋ぐ道も整備されていた。
技術的には建築にコンクリートが使われ始め、アーチ構造が完成し、直径43mのほぼ半球形の
ドーム(アーチの回転形)を持つパンテオンが象徴的。
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上は正面、下は内部
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ローマで紀元前・後に活躍した建築家・建築理論家であるウィトルウィウスの「建築について
(通称:建築十書)」は、ヨーロッパ最初で最古の建築理論書である。

■ヨーロッパの中世  (その裏でイスラム文明の台頭) 5~15世紀ごろ
暗黒時代とも称される中世ヨーロッパは、人世を楽しむことを大切にするラテン人が後退し、
やや武骨なゲルマン人が力を持った時代となる。この時代の文化的な高揚は乏しく、
建築で見るべきものは、やや凡庸なロマネスク建築や、やたら高いゴシック教会の石積み
などを残す程度である。
どちらかと言うと禁欲的な一神教であるキリスト教文化は、絵画や彫刻においても、宗教的な
モチーフ以外には見るべきものをあまり残さなかった。

一方で、隣接する中近東で興ったイスラム教文化は、一神教ではあるものの合理的な性格を
持ち、ユーラシア大陸の中央部に位置する地の利を生かし、過去の様々な文明や異なる
文化の持つ知の遺産を積極的に収集し、興隆期を迎える。

長引く「中世」が衰退期を迎え、中近東とその先にあるインドや中国に興味が生じたヨーロッパ
諸国は、十字軍などで苦い思いをしつつ、イスラム商人を介して砂糖や香辛料の交易が盛ん
になり、さらにそれを直接手に入れたくなって海路に夢を託し、大航海時代が始まる。

■ルネサンス 西洋建築の目覚め 15~16世紀ごろ
次第に中世の封建主義が崩れ始め、流通業、商業や保険・金融業者が力を持つようになり、
新興勢力者たちは、その力を芸術の振興にも向け、それがルネサンスとしてイタリア各地
(フィレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネッツィアなど)から花開く。
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ヴィーナスの誕生 ボッティチェッリ
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春(プリマヴェーラ) ボッティチェッリ

個人的な体験として、1984年にフィレンツェのウフィツィ美術館を訪ねた際に、長い廊下の
どん突きで観たボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」と「春」は、1982年の修復が終わった
ばかりで、それまで書物で観たものとは全く異なる色彩を放ち、暗黒の中世が明ける新鮮な
破壊力を想像して心がザワザワ・頭がクラクラしたことを思い出す。

初期ルネサンスの建築家としてフィリッポ・ブルネレスキがいて、金細工師からキャリアを
積み、彫刻家→建築家としてその才能を開花させ、遠近法の発明やオーダー(柱と梁など
部材相互の秩序ある組み合わせ)の発見を行い、数多くの洗練されたデザインの建築を
残してルネサンスの突破口を開いた。
また、技術者としても合理的な施工方法などの考案している。
捨子保育院
フィレンツェ 捨子保育院 ブルネレスキ

その後のドナト・ブラマンテがルネサンスの建築美を完成させた。
さらに、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどネサンス盛期のスターたちは、
芸術家であり科学者でもある万能の天才であり、数多くの建築も手掛け、
単に古代ローマの復興だけではない、独自の創造が行われることとなった。

ルネサンスは古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動とも言われ、
ヒューマニズム建築の源流がここにあると説く美術史家もいる。(R.ウィットカウアー)

そのころキリスト教世界では宗教改革が起こっている。

また、中世に途絶えたラテン語文化は、イスラム(アラビア語)文化を経由して再び
西ヨーロッパにややこしい道をたどって戻ることになる。
参考:wiki ルネサンス

このころの日本は安土桃山時代、インドではムガール帝国の最盛期に向かう頃で、
世界同時多発的な文化の興隆期とも言えそうだ。

■マニエリズム から バロックの成立と大航海時代 16世紀末~18世紀ごろ
ルネサンスの最盛期にイタリアで活躍し始めたパッラーディオは、ダヴィンチやミケランジェロ
のような万能の天才ではなく、建築に特化した秀才であり、最初の専業建築家とも称される。
彼は1600年ほど前に出されたウィトルウィウスの「建築十書」を手にローマの建築を見て回り、
古代のエッセンスを活かしつつその時代に合った様式(スタイル)を整理した。

彼の建築理論の集大成である「建築四書」を著し、それは19世紀末に至るまで建築の教科書となる。
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ルネサンス期の偉業や建築四書を手に入れた後継者たちは、あえて新しい表現を創造せず、
過去の様式を模倣することが多くなり、マニエリズムを経てバロックの時代を迎え、
その後やや軽快なロココに移行する。

ちなみに、ルネサンス・マニエリズム・バロックなどの呼称は、後世の歴史学者が名付けた
もので、当時の人たちはそれぞれの今を生きていた。

バロックは、誇張された動き、凝った装飾の多用、強烈な光の対比のような劇的な効果、
時として仰々しいまでの豊饒さや壮大さなどによって特徴づけられる。
バロック建築は当初イタリアが主な舞台となるが、次第にドイツ・フランス・スペインなど
にも広がり、独自の発展を遂げるようになる。
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パリ近郊 ヴェルサイユ宮殿

各地のバロック建築は多様性に富み、それぞれ見ごたえがあるが、中にはグロテスクなもの
まで登場するようになる。
バロック建築は楕円の平面を編み出し、その空間の音の響きはうねるようなバロック音楽に
マッチしている。

たまたま訪ねたハンブルグの聖ミヒャエル教会で聴いたパイプオルガンの荘厳な調べに、
ここはアコースティックな音響装置なのだと気づき、不意打ちを喰らったようにその音色に
全身が陶酔した記憶がいまだに残っている。
St_Michaelis _3
ハンブルグ 聖ミヒャエル教会

<この頃活躍した音楽家 A.ヴィヴァルディ、J.S.バッハ>

そのころスペインとポルトガルを発端とし、その後イギリス・フランス・オランダと続く
ヨーロッパの海洋国家は大航海時代を迎え、世界の交易はシルクロード(イスラム教徒)
交易から海路(キリスト教徒)での交易へ移行し、経済のグローバル化が進む。

■新古典主義 への回帰と産業革命 18~19世紀ごろ
世界の富が集中するようになったヨーロッパでは、教皇や国王などの過去の権力者にかわり
「市民」が力を付け、市民革命(ブルジョワ革命、資本主義革命、民主主義革命なども含む)
がおこる。
権力の象徴として建築はよく利用される存在で、パワフルな建築が各地で作られるようになる。
バロックやロココなどの建築様式のやや過剰な装飾性は権力の象徴になりづらく、
荘厳で崇高な様式を求めた成果として新古典主義と呼ばれる建築群があらわれる。
このころは、イギリス、フランスやドイツにと共に、旧東欧やロシアまで都市が成熟し、
20世紀の戦災を免れた(/復興した)クラシックな街並みは、この時代に作られたものが多い。

建築のデザインとしてみると、新古典主義はギリシャ・ローマに端を発し、ルネッサンスを
経て積み重ねたヨーロッパ文明の良いとこ取りの寄せ集めなので、やや単調で独創性に欠け、
退屈に感じる場合が多い。

その中で、主にベルリンで活躍したカール・フリードリッヒ・シンケルは、新古典主義的な
呪縛にとらわれず、その後のモダニズム建築にも通じる自由で大胆な構成美を持つ建築を残している。 
東独時代にチェックポイント・チャーリーを経て東ベルリンに入り、最初に訪ねたここで、
その大胆な空間構成から、古さの中にある新らしさを強く感じた。
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アルテス・ムゼウム KFシンケル

また、大航海時代が植民地主義に移行し、イギリスで産業革命が始まってそれがヨーロッパ
全域に伝播し、ヨーロッパの数か国が世界の過半を支配するようになり、ますます世界の富は
ヨーロッパに集中する。
さらに、印刷技術の進歩が著しく、様々な知識や情報が「一般の市民」に広く・素早く伝播する
時代になった。

<この頃活躍した音楽家 W.A.モーツァルト、L.V.ベートーヴェン、F.F.ショパン、P.I.チャイコフスキー>

このころの建築の教育機関として中心となったのは、パリのエコール・デ・ボザールで、
伝統的・古典的な様式を理想としていた。
後に生まれた近代の萌芽は「反ボザール的」と表されるほどの力を持っていた。

19世紀半ばにイギリスで始まった「博覧会」が新たな技術を披露する場になり、工業製品である
鉄とガラスが建築の実用的で重要な構成要素になる品質になってくる。

■■ここまでがプロローグ、この先が本題■■

■建築の「近代」はいつからか? 19世紀半ば以降
これまで古代~中世~近世(ルネサンス以降)と書いてきた西洋建築の大雑把な歴史は、
建築に限らず世の中の様々な動きと連動している。一般的にヨーロッパにおける近代
(英:modern age)は産業革命、市民革命、国民国家の成立以降あたりの18世紀末~19世紀を
指すようだが、建築はそれらの社会的な現象に半世紀ほど遅れて、19世紀の半ばごろとなる。 

以下が近代建築へのエポックメーキングな建築であろう。
1. 水晶宮(The Crystal Palace)は、1851年にロンドンのハイド・パークで開かれた第1回
万国博覧会の会場として建てられた建造物。ジョセフ・パクストン設計。鉄骨とガラスで
作られた巨大な建物であり、プレハブ建築物の先駆ともいわれる。鉄骨橋梁の土木技術を
建築に転用し、当初の評判は散々だったそうだ。
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水晶宮 パクストン  
 
2. レッドハウス(Red House)は、イングランドのケント州に建てられアーツ・アンド・
クラフツの原点となったカントリー・ハウス風建築。1859年にウィリアム・モリスの自宅兼
工房としてフィリップ・ウェッブの設計で建設された。
普通の田舎家に見えるが、それまでの「品の良い家」は、外部の秩序で形が決まっていた
ものを、内部の欲求によって自由に窓を刳ったところが革新的と言える。
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レッドハウス フィリップ・ウェッヴ

<この頃活躍した音楽家 M.P.ムソルグスキー>

これらの情報は雑誌などのメディアの発達や、蒸気機関車による交通手段の発達により、
狭くなったヨーロッパの各地でコミュニケーションが活発化し、潤沢な富と時間をつかって
新たな運動が起き、これらが世紀末の芸術運動に弾みをつける。

■世紀末のパリ:アール ヌーヴォー
建築の近代で「世紀末」という言葉が最も強くイメージされる街は、何といってもパリ♪
19世紀末の市民革命を経て、このころのパリは繁栄と退廃を併せ持ち、芸術が育つ土壌に
満ち溢れていた。 この時代をベル・エポック(良き時代)とも呼ぶ。

少し前にイギリスで興ったアーツ・アンド・クラフツから影響を受けつつ、グラフィック
デザイン・工芸・建築など分野の才能がここで花開いた。その前の主流であった新古典主義とは
全く異なる様式・アールヌーヴォーが出現する。
やや装飾過多な傾向があり、その後(20世紀)に興るインターナショナルスタイルの時代には
否定されるが、度々復活する魅力を持つ。
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メトロ入り口 ギマール

世紀末のパリでは万国博覧会が1855,67,78,89年に行われ、89年の万博ではエッフェル塔と共に
「機械館」が注目を集めた。その規模は、来場者:3,225万人、出品者:6万人以上、
参加国:35か国とかなり大きく、ヨーロッパでの商工業者の興隆を感じる。
この時期にフランスは北アフリカとインドシナへの植民地を拡大している。
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パリ万博 機械館

<この頃(パリで)活躍した音楽家 エリック・サティ、C.A.ドビュッシー>

ところで、普仏戦争(1870~71年)で大きな被害を受けたパリの復興に、ユダヤ系の資本家
であるロスチャイルド家が起きな役割を果たしている。
都市インフラの整備が資本家にとって大きなリターンを産む投資になること、機械化されて
大量生産される製品を市民の生活レベルが上がる事で消費が進むことなど、その後の
資本主義経済システムが成立し始めたのもこの時期である。

■世紀末のウィーン:ユーゲント・シュティール / ゼツェシオン(ウィーン分離派)
パリと並んで世紀末をイメージする代表的な都市がウィーン♪

オーストリア=ハンガリー帝国の首都でありながら、皇帝であるフランツ・ヨーゼフ1世の
周辺地域の多民族共生・多文化共存の方針に沿い、オープンなメトロポリタンだった。

1896年に発刊された雑誌「ユーゲント」は、ドイツ語圏の世紀末美術に大きな影響を与え、
その様式をユーゲント・シュティール(若い様式・Young style)とよぶ。
ドイツ語圏の大都市であるベルリン、ミュンヘン、ウィーンにてそれに賛同する芸術家たちは、
過去の様式からの離脱や分離を意識してゼツェシオン・分離派と呼ばれる。その中で最も
質が高いのがウィーン分離派である。
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現在も使われている ウィーン郵便貯局 オットー・ワグナー

ウィーン分離派は、画家であるグスタフ・クリムトが中心になり、様々な分野の総合芸術を
志向し、建築ではオットー・ワグナーとその弟子たちが活躍する。
ウィーンの有力なパトロンとしてカール・ヴィトゲンシュタイン(哲学者:ルートヴィヒ・
ヴィトゲンシュタインの父)がいて、クリムトはヴィトゲンシュタイン家の娘たちの絵を描き、
彼は分離派の常設展示館である、オルブリッヒの設計によるゼツェッション館の建設を支援した。
オットー・ワグナーのいくつかの建築を訪ねたが、明らかにそれまでの「新古典様式」とは
異なる、光に溢れてワクワクする浮遊感に近代を感じた。

<この頃(ウィーンで)活躍した音楽家 J.シュトラウスⅡ、G.マーラー>

やや装飾的なデザインが多い当時のウィーンで、装飾そのものを否定し「装飾は罪悪である」と
主張するアドルフ・ロースはやや異色な存在で、20世紀のモダニズムの先駆ともいえる。
ロースはまたラウムプランという考え方を示し、そこで建築を(階ごとの)平面計画だけで
考えるのではなく、(部屋ごとの)空間構成で自由に考えることを提唱する。
これは実は画期的な発想。
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ミューラー邸 アドルフ・ロース

ところで、ウィーン生まれの哲学者 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、建築(姉の家)
の設計も行ったが、アドルフ・ロースの影響を感じさせる。
すなわち装飾のない白くて四角い箱に四角い窓が並んでいる『様式』が、である。
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ストーンボロー邸 ヴィトゲンシュタイン

■連続しているものの、世紀が変わって、、、■

■20世紀初頭のドイツ:ドイツ工作連盟 1907~1933
ドイツ人の建築家ヘルマン・ムテジウスを中心とし、工業化が進むドイツで、近代社会に
ふさわしい芸術と産業の統一を目指し、芸術家・デザイナー・理論家・実業家や建築家が
参加して設立された。新即物主義(ノイエザッハリヒカイト)とも関連し、その理念は
バウハウスによって具現化され、1933年にナチスによって解散させられた。

ドイツ工作連盟は、1927年にシュトゥットガルト郊外のヴァイセンホーフの丘に建設された
実験住宅群:ヴァイセンホーフ・ジードルングを主催した。
ミース・ファン・デル・ローエが全体計画を立て、ドイツを中心に当時新進気鋭の建築家17人
によるモダニズム建築の実践が行われた。

招待された一人のル・コルビュジェは、20世紀を代表する建築家となるが、彼の「近代建築の
五原則」を揃えた初期の傑作がここにある。
その五原則とは、ピロティ、 屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサードである。 
ここは、1984年に訪ねたが、当時でも世の中にある住宅全ての中で抜きん出た魅力を放ち続けていた。
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ル・コルビュジェの住宅 1927

<この頃活躍した音楽家 ストラヴィンスキー、ラヴェル>

1928には第1回CIAM(Congrès International d'Architecture Moderne、近代建築国際会議)
がスイスで開かれ、コルビュジェはその主役の一人となる。
CIAMは建築においてすべての主要領域(ランドスケープ、都市計画、工業デザイン、その他多く
を含む)に焦点を当てたモダニズム建築の原則を広めるのを目的とし、1959年まで続く。

■20世紀初頭のドイツ:バウハウス 1919~1933
ドイツ(当時ヴァイマル共和国)のヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを
含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。
バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味し、世界で初めてモダンデザインの枠組みを
確立した美術学校。

1919年にヴァイマルで始まり、1925年にデッサウに移転した。 
教授陣には、ワルター・グロピウス(建築)、ミース・ファン・デル・ローエ(建築)、
パウル・クレー(絵画)、ヨハネス・イッテン(芸術理論)、モホリ・ナジ(写真・タイポ
グラフィ)、ワリシー・カンディンスキー(絵画)、オスカー・シュレンマー(彫刻・ダンス)
ピエト・モンドリアン(絵画)、マルセル・ブロイヤー(建築・家具)などがいた。
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デッサウ バウハウス 1925 ワルター・グロピウス

14年間という短い期間だったが、当時他に類を見ない先進的な活動は、現代美術に大きな影響を与えた。
極めて合理的かつシンプルなデザインであるため、機械的な大量生産に適し、バウハウスが
追及したデザインは、現代人が意識する必要がない程に日常化したと言える。
1933年に解散されたが、バウハウスの教授陣にはユダヤ人が多く、彼らの多くは米国へ亡命した。

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バルセロナ・パヴィリオン 1929  ミース・ファン・デル・ローエ

■20世紀初頭のオランダ:デ・ステイル
デ・ステイル (De Stijl) は、1917年にオランダで創刊した雑誌、及びそれに基づくグループの名称。
デ・ステイルはテオ・ファン・ドゥースブルフ(建築・絵画)が中心となり、ピエト・
モンドリアン(絵画)、ヘリット・リートフェルト(家具・建築)らとともに始まった。

モンドリアンは赤・青・黄+黒のコンポジション(平面・絵画)で高名だが、
それを立体にしたのがリートフェルトで、まずは「赤と青の椅子」(1917)をつくる。
その後、リートフェルトがユトレヒトで作った住宅が 「シュレーダー邸」(1924)で、
モンドリアンの造形原理を発展させたものと言える。
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1984年に訪ねた際には、シュレーダー夫人はまだ存命で在宅だった(ようだ)。

この時代になると、情報と人の移動はますます自由になり、各地域のローカルなデザインを
消失させ、インターナショナルスタイルに収斂されてゆく。
日本にもその影響は届いており、モダンボーイ・モダンガールが銀座の街を闊歩し始めたのが
1920年代であり、柳宗悦が民芸運動を始め、柳田國男・今和次郎らが日本の民家調査を行った
のもこのころである。

■19世紀末頃~20世紀前半のヨーロッパの情勢 バブル
19世紀後半から20世紀初頭にかけては、大航海時代を制して植民地主義を拡大させ、産業革命を
起こして発展させたイギリス帝国が、世界的な覇権国家として栄えた。
イギリスに限らずその他のヨーロッパ諸国も経済的に豊かになりそれが建築を含む文化的な
事象の爛熟を育み、ヨーロッパのバブルとも言える時期となった。

イギリスの強さは、バブルが消える前に金融・国際法などの分野でグローバル化する世界の
ルール作りを行い、英語を世界の標準語にすることで、その後自国の産業が衰退した後でも
長きにわたってその存在感を失っていない。

一方で植民地主義に出遅れたものの産業革命以降の工業・科学的な発展を遂げたドイツは、
モダンデザインの潮流を生み出しつつも、ウィーン美術アカデミーの受験に2度失敗した独裁者
の為にその芽を絶たれ、周辺諸国と摩擦を生み、2回目の世界大戦を引き起こしてしまう。
ただし、工業技術・工業デザインの分野においてはその優位性を保っている。

■何となくまとめ
「インターナショナルな現代建築」はその後世界中に広がり、地域ごとに様々な展開を産むと
ともに、その主流は、アメリカに移り、日本にも立ち寄り、、、今やどこにあるのかわからない。

建築の近代主義がその理想の一つとした「世界中のどこでも近代的なガラス張りの高層ビルが
建ち得る」は、ある程度実現した一方で、その前提としての無限に存在する安価な化石エネル
ギーや、どんなに汚しても復元する地球環境に限界があると知った時点で無意味化した。

世界各地域の文化はそれぞれ優劣無く素晴らしいのだが、一時的にイデオロギーの変化や対立
などにより、その文化が歪んだり破壊されたりすることがある。
しかし、衣食住の基本である料理や建築、さらには心をいやす美術や音楽などは、表層の変化
である政治や戦争などの社会現象に左右されず、しぶとくその地域の特性になじむ形で
進化してきたと感じている。

■おまけ
この文章を書くために、久しぶりに西洋建築史圖集(日本建築学學會編)を手に取ったところ、
ハラリと落ちた紙2枚。

たぶん、40年近く前にヨーロッパを旅した前後に作成したヨーロッパ建築の年表。
縦軸に時間で紀元残後から1900年ごろまで、横軸に地域が割り当てられ、おそらく興味を持った
/実際に訪ねた建築が記入されている。

赤い下線を引いたものは特に印象に残ったものだろうが、緑の線の意味は良くわからない。
左ページはイタリアで、右ぺーじはその他のヨーロッパ。 
何となく(少なくとも私が感じた)建築の潮流が読み取れて手前みそだが面白い。
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こうしてみると、古代から建築の主流だったローマ・ラテン文化が、近代(18世紀ごろ~)を境にその存在感が薄れて行く。
言い換えると、近代とは脱ローマ・ラテン文化であり、ゲルマン~アングロ・サクソン化だったのカモ!?

◆ ◆ ◆ あとがき ◆ ◆ ◆

ちょっとしたきっかけがあり、西洋建築の歴史を簡単にまとめました。
建築を専門とする人よりむしろ、幅広く歴史やデザインに興味を持つ人をターゲットにしています。

これまで私の仕事としてきた建築の設計では、鉄・ガラス・コンクリートといった、西洋建築に
ルーツを持つ材料を主に使い、その様式(スタイル)もおおよそ西洋的な産業革命以降の
技術に則った事が世界標準(インターナショナルな現代建築)であり、日本の標準でした。

個人的には日本やアジア諸国の伝統的な建築が好きではあるものの、それは仕事には
結びつかず、趣味の世界にとどめておいたのです。

そのように西洋建築の影響を強く受けている建築設計の学びや実践の中で、流行を追ったり、
コピー・ペーストをするだけではもの足らず、建築デザインの源流を求めて学生時代は講義や
本などで学び、20歳代後半に半年ほど西洋の旅をして気になる街や建築を訪ねて歩いたことで、
自分なりにその流れを整理し・身に着けたつもりです。

西洋建築の歴史はおおむね2000年ほどでアウトラインはつかめるものの、一般的な書物など
ではかなり時代や地域が細分化されていて、全体の流れがつかみづらいと感じていました。
そこで、私が(ほとんど)実際に訪ねて、何かを感じた建築を概ね時系列で並べ、おおよそ
定説となっている解説を加え、ちょっぴり独自の視点を添えて流れをあらわしてみました。

建築以外の社会的な動向や、その頃活躍した音楽家(作曲家)などを併記することで、
広がりや繋がりを感じていただければ幸いです。

写真は自分が撮ったものを使いたかったのですが、過去の写真を整理してスキャンする余裕が
なかったので、主にウィキペディアにあるパブリックドメインの写真を使っています。
ただし一部で「著者への言及が必要」との写真が含まれていて、その表示はかなり煩雑となるので、
冒頭に「筆者 個人記録用」と曖昧な表記をしています。

さて、西洋建築の流れをザックリ記すと、
約2000年前のローマ時代、約500年前のルネサンス、約100年前の世紀末に大きな転換期
があり、冒頭に触れた「インターナショナルな現代建築」に至ります。

次の転換期はいつどこで起こるのか? もしかすると今がその最中なのか? 
そもそもインターナショナルな現代建築は虚像なのか?
は良くわかりませんが、、、たぶん最後なのだと感じています。

Tag:歴史  comment:0 

どこでもハンモックー(^^♪

この春~夏に大活躍している 「どこでもハンモックー(^^♪」 (←ドラえもん風に読んでね)
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カンボジアに住む友人からいただいたハンモックが2つ我が家にあり、
今シーズンこそ 木陰でハンモック♪ したいのにちょうどよい樹がないので、、、
どこでもハンモック(^^♪ を実現させる台を作ったのです!

それでは、改めてこの4か月ほどの間にFBに書いた関連投稿を整理しつつまとめてみます。

■5月2日
今日もとっても良い天気! ほとんど夏の陽気の中、素肌にTシャツ(今シーズン初)で木工に励みました!
さて、本日の木工の課題は「どこでもハンモックの台」

それまで(ひとまず)軒下に吊るしてあったハンモック2つ。
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ニットの布を三つ編みにしてメッシュをつくるようなつくりです。
ちなみに、ハンモックを吊るしている梁の間隔は9尺(2.727m)です。

まずは、手頃な材を選んで台の本体(背骨)と脚をつくり、、、
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ひかえめな腕を伸ばして、ハンモックを引っ掛けてみました。
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昼間の日差しは強烈でした!
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見た目は良い感じですが、乗ると台の背骨が私の背骨にゴリゴリ当たります。
最初は低重心の方が安定するか? と考え、低めの腕で支えたところ、お尻が台に当たってしまう失敗作。

どうやら、人が乗らない時はピンピンに張られる程度が良いみたい。
腕を長くして、角度を調整し、先端の受け材も3回作り直して、なんとか夕方にココまで来ました。
ひとまずの完成形。
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もう少し重い人でも楽しめるように、明日は台を少し削ろうか?


■5月3日
今日の朝イチのお仕事!
昨日の宿題を片付けました。
お尻がつかない「どこでもハンモック」完成!?
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珍しく ピースサインの作者。

どこでもハンモック! ひとまずの定位置は、納屋前の軒下。
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ハンモックに寝転がって、春(夏?)の空を眺める。
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あー極楽極楽♪


■5月4日
今日の休憩所。
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作業に疲れたら、ハンモックで一休み。

ハンモックをしまう時に、脚を外して逆さまにおいたら、、、なんだかイイカタチ⁉️
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■5月17日
進化した ハンモック台
使っていると、、、段々たるんでくるのを、ラッシュベルトを使って調整しました。
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これで、やや重めの方でも、お尻がつかずに寝っ転がることができるようになりました!

さて、ウッドデッキに移動したハンモック。
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長さが3メートルぐらいあるのでほぼ一杯。
ラッシュベルトで引いて、ピンピンに張っています。


■8月3日
今日はスローペースでお片付け。

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昼食後はのんびりハンモックで写真の整理をして、これを書いています。
夏は川辺の木陰で涼風を得ながらのんびり過ごすのがこの世の極楽(^^♪

今のポジション。
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足が上がるので膝下の疲れが取れます。

川辺からの見上げ。
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水捌け、風通しの良い夏仕様のウッドデッキとハンモック。

川の対岸より。
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昨年の台風19号では、概ね目線のあたり(階段の真ん中あたり)まで増水しました。
先日の梅雨の大雨でも、階段の2段目ぐらいまで増水しました。
したがって、この階段は取り外しできるように、軽量(簡易)型なのです。

■8月9日
ややしつこい感じになってきたハンモック。
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今日はこれまでの最長、3時間ぐらい寝っ転がって、午前中の疲れを川のせせらぎに流しちゃいました❗️


■8月11日
今日のウッドデッキ。すっきり片付けました。
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ハンモックホルダーは、裏返って日光浴中。

もう一個作る予定なので、そちらはそちらで考えてみます。

Tag:お楽しみ  comment:0 

篠原の炭 藤野駅前デビュー! に至るまで

2020年の7月に、「篠原の炭」が神秘のベールを脱ぎ、藤野駅前でお披露目されました! 

「篠原の炭」は、篠原の里・炭焼き部がつくる炭とその関連商品群です。
篠原を含む藤野地域では、少なくとも江戸時代から炭焼きが主な地域産業の柱で、周囲の里山の多くは薪炭林で、山に入るとアチコチに窯跡が発見できます。
そんな環境に適した動植物たちが生育し、天然記念物のギフチョウが自然に生育している関東では唯一の場所になっています。
篠原の里・炭焼き部は、一旦途絶えかけた地場の産業であり・文化でもある炭焼きを継続させようと20年ほど前に立ち上がり、現在では主に外部から移住した10数人のメンバーがいます。炭焼きには山里に暮らす人の知恵が詰まっているように感じます。

このブログの筆者は2017年の冬から炭焼き部の活動に参加していますが、近年この活動に参加する人が増え、炭のヴァリエーションも増えてきました。
活動を通じて炭の魅力に気づき、より多くの人たちとこの喜びをシェアーしたいと思うようになり、この冬ごろから「密会」を重ね、「篠原の炭」を命名し、その価値を分かりやすく伝える商品化を進めてきたのです。

「密会」の様子(3月7日、釜戸ノ上にて)
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密会の成果~紙タグ(2つ折りを開いたところの表)
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紙タグ(2つ折りを開いたところの裏)
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それでは、改めてこの1か月ほどの間にFBに書いた関連投稿を整理しつつまとめてみます。
(長いです)

また、今月行われている「ちょこっと篠原展」と「篠原の炭 即売会」を応援してくださった藤野観光協会と、「篠原の炭 即売会」の素晴らしい会場を提供してくださったJR東日本に、深く感謝します。

■6/27 FBへの投稿より
今日は夕方から 篠原の里. 炭焼き部 の作業をしました。
7月1日から、藤の駅前の ふじのね で始まる篠原の展示「ちょこっと篠原展」に出す炭製品などの袋詰めなどです。
と 同時に、これまで確かめたことがなかった「篠原の炭は火持ちが良い⁉︎」「樹種の違いはどの程度か?」についての実験を行いました。樹種は、クヌギ、シラカシ、ケヤキとナラです。
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ナラの標準品 ザ 篠原の炭 2kgパック(左)と、500gパック(右)です。
厳選した紙袋に入れ、スタンプを押し、紙タグを添えました。
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こちらは、竹炭の箱入り!
私が丹精込めて詰めました ♪
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蓋をするとこんな感じ。

さて、炭の「燃焼実験」
下の中央に、火種として、火が熾ているコナラを置き、周囲にほぼ同じ断面の菊炭 3種類x2本ずつを、並べてみました。
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端部はちょっとバーナーで炙っています。

約1時間後の様子。
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この写真では5時と11時の方角にあるケヤキが早く燃えています。
やや太めで、1時と7時の方角にあるのがクヌギ、ほぼ横に見えるのはシラカシです。

約1.5時間後の様子。
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水平に見えるケヤキに割れが入りました。
縦方向がシラカシ、4時と10時方向がクヌギです。

約2時間後の様子
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ケヤキはかなりカタチが崩れてしまいましたが、クヌギはほぼ原形を留めでいます。
全体としてそろそろいい感じになってきました。

約3時間後の様子。
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暗くなって作業が終え、そのまま家に持ち帰ったところ。

食事をして、やまなみ温泉に行って、帰って来て見た様子。(約4時間後)
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何もしないと、クヌギは5時間ぐらい行けそうです。
全体として、火持ちが良いと感じました。

今度機会があったら、他の国産炭や、外国製の炭などと比べてみます。


■7/1 FBへの投稿より
今日は藤野駅横「ふじのね」で行われる「ちょこっと篠原展」の搬入を午前中にあるので、前夜から篠原泊。
<中略>
ちょこっと篠原展は無事にスタート! お時間のある方は、是非お出まし下さい。

搬入・セッティングの佳境。
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奥の壁周辺が「ちょこっと篠原展」です。

「篠原の炭」のデヴュー !
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パンプスを履いた麗しい人が、中央線で持ち帰っても似合う感じ⁉ を、密かに狙った(カモ?)

私の木工作品(額縁、椅子など)も、ちょこっと展示。
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額に何もないと寂しいので、お気に入りのナヲコラヴさんの絵葉書を添えました。

さっそく知人が来店し、炭をたくさんお買い上げいただきました❗️
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ウレシイ! ありがたい!!


■7/21 FBへの投稿より
7月1日に投稿した、藤野駅横「ふじのね」で行われている「ちょこっと篠原展」の関連情報。
なんと「篠原の炭」がガチャガチャに入り、、、世界初「地産ガチャ」が登場!
【スーパーアナログローカルエネルギー「炭」の魅力をカプセルに封じ込めました。】とのこと。
その様子が、YOUTUBEで見ることが出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=SPcnpj14MJk&feature=share&fbclid=IwAR35kScRZcfIHSwyP1KYKw-MoaJSnqdWWoEGmYTXIafVdtTgouUH9EnAdWA

これは私が撮った写真
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■7/22 FBへの投稿より
緊急投稿! 様々なイベントが中止となる昨今ですが、
7月24日(金・祝),25日(土)の9:00~16:00に、藤野駅の改札口を出て10秒ぐらい・ふじのね前のコーナーにて、篠原の炭 即売会を行うことになりました。
藤野観光協会 https://info-fujino.com/ より、一部ご紹介
「電車に乗る前の一時に、ハイキングで疲れた足を癒しに、ぜひちょこっとお立ち寄り下さい!」
・・・ん? 炭なのに、【足を癒しに】って、なんだろう?
その謎は、来ていただければわかります。
時節柄、あまり多くの知人・友人などをお誘いにならず、少人数でバラバラにマスク着用の上、コッソリ・ナイショ・独り占め(^^♪ の気分で(たくさんの方々に)お越しいただければ幸いです。
実は明日準備するのですが、通常のナラの黒炭の他、クヌギ、ケヤキ、カシの菊炭、竹炭、木酢液と、篠原の炭Tシャツなどを販売する予定です。
それぞれ、おしゃれな容器に入ったもののほかに、お買い得な「量り売り」も行うでしょう。 量り売りの場合には、容器をご持参いただけると助かります。
もちろん、世界唯一の「炭ガチャ」も近くにあります。
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直前に作成したチラシ

■7/23 FBへの投稿より
木酢液を使う足湯浴槽を作りました!
明日・明後日の「篠原の炭 即売会」でデビューします。
炭焼きの煙から採れる木酢液は、農薬や土壌改良などの用途でよく用いられていますが、その殺菌・消臭効果などを利用した入浴剤としての利用や、足湯も注目されています。
足湯ファンの炭焼き部員の提案で、春に行われる予定だったイベント用に70Lの6人槽を作ってあるのですが、今回の場所ではそのお湯の確保がやや困難。そこで、小振りの1〜2人槽(11L)を急遽作りました。
これだと、電気ポットのお湯で1回分は賄えます。
足湯待ちの大渋滞ができるといけないので、念のために2つ作りました。
いま、お試しをしたところ、、、スッキリ・爽やか・ややスモーキー、、、ラフロイグのお湯割をいただいた気分です❗️
なお、明日これをお試しになる方は、足拭きのタオルなどをご持参いただけるとありがたいです。

2ヶ月ほど前に組み上げた、大型の足湯浴槽 70L
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素材は、香り良く、抗菌効果があり、寿司桶などにも用いられるサワラです。

大型足湯浴槽の水張り試験中。
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少し漏れますが、許容範囲内だと自画自賛。

さて、今日の昼ごろ、小型足湯浴槽の材料を切り終えたところ。
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iPadの中に、作事描いた図面あり。

はい、出来ました!
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1人で使えばゆーるゆるのゆったり寸法 27w*36d*11.5h(cm)です。
親子や、仲の良いカップルならば、2人もありか⁉︎


■7/24 FBへの投稿より
今日は、暑くなく、寒くもなく、さほど雨も降らずの良い天気。
そんな中で「篠原の炭 即売会」1日目を行いました。
登山などの行楽客、駅を利用する地元の人、出店者の知人(の知人)など、多くの方々に来ていただき、多くの出会いがあり、炭を介した素敵なコミュニケーションがあったり、楽しく充実した1日でした。
明日もやります! お時間のある方は是非どうぞお越し下さい。

会場全景。 左奥が噂の足湯❗️
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小さめにパッケージした炭と木酢液のコーナー。
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5種類の炭のサンプル。
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左奥から右へ、竹、ケヤキ、クヌギ、カシ、ナラ

量り売りのコーナー。
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■7/25 FBへの投稿より
篠原の炭 即売会
絶賛開催中❗️ 本日4時ごろまで。
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■7/25 小山 宮佳江さんの投稿より
混浴中(≧∀≦)竹酢液のいい香り^ ^
篠原炭焼き部!駅前出店中です〜^
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Tag:篠原の炭  comment:0 

何故かフィンランド ♪

ちょっとした縁があって、フィンランドの事を話すことが出来る友人と出会ったので、
改めてこの2年ほどの間にFBに書いたフィンランド関連の投稿をまとめてみます。

■2019年8月23日
本日は、好きなことをする日です。
さて、先日UPLINK吉祥寺に「藍色少年少女」を観に行ったときに、ショップでふと目に留まった本を購入し、眺めています。
「マリメッコのすべて ・ Marimekko : Fabrics, Fashion, Architecture」という本です。

マリメッコはフィンランドで1950年代に生まれたテキスタイルデザインを中心とする企業ですが、1984年に私がフィンランドを訪れた際に出会い、何となく気になっていたブランドでもあります。
本を見てゆくとさらに気になるVuokkoの記載があり、ヴォッコはマリメッコに所属していたデザイナーの名前なのだと知りました。
そのころの私は、インドのkhadiに代表される「手紬・手染め・手織り」の布や服が最高位で、プリントのテキスタイルなどはキッチュなものとして切り捨てていましたが、何故かフィンランドで出会ったマリメッコの、特にヴォッコのテキスタイルからは新鮮な魅力を感じました。
その謎が、当時のフィンランドで感じた印象と、40年近くたって出会った本の印象を重ねて溶けるように解けてゆきます。
この本を読みながら、かつて購入した本を思い出し、引っ張り出してきて並べて読んでいます。
「finland : nature, design, architecture」という本です。
amazonで調べると、1985年発刊で、$9.94にて今でも購入できます。

フィンランドは、日本と同じぐらいの国土面積に、530万人ほどの人が住み「森と湖の国」などと呼ばれる国です。
数週間の滞在で、どこに行っても自然と人の生活がバランスよく共存・循環している印象を強く受けました。
フィンランドの全ての(良質な)デザインから受ける心地よさは、自然と共に生きてきた人の生活の歴史をベースに生まれていると感じます。
その反対に位置するのは、パリ・ミラノ・東京・上海など発のデザインで、人工的で人間中心の大都市をベースに生まれています。
どうやら、前者は消費されない(古くならない)デザインで、後者は大きな流行は作られるものの消費される(古くなる)デザインなのかと思います。
という前置きで、2冊の本を少し紹介します。
なお、文中にてどちらの本か? は、以下のイニシャルで示します。 
M : マリメッコのすべて ・ Marimekko:Fabrics,Fashion,Architecture
F : finland : nature, design, architecture
基本的に、前半がMで、後半はFです。
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フィンランドの英雄:シベリウス作曲の交響詩「フィンランディア」と「タピオラ」を聴きながら ♪

左のFの表紙と裏表紙には、文字が一切ありません。
Fの表紙の右端は、めくりすぎて擦り減っています!? ・・・じゃぁなくて、最初からそういうカタチでした。

ここからしばらく M の写真です。
ヴォッコのガレリア柄(1954)を1967年にアンニッカ・リマラがデザインしたドレス。
この2人の組み合わせは、次の写真も同じ。
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美しい ♪
服も、モデルの佇まいも、写真も、、、まいった、やられた、完璧だ!

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写真は見えにくいかもしれませんが、、、
枯れかけた巨木の頂部に、(珍しく)ニットウールのドレスを着たモデルさんが、とぼけたポーズをとっています。
これは1967年です。

こちらは、屋外での服のスナップ。
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左はVuokkoです。
何故かみんな「原っぱ」で撮っています。
さすがフィンランド!

主なデザイナーさんたちが紹介されていまして、、、
私の最もお気に入りのヴォッコさんは、こんな方でした。
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うぅ~ん、意志が強そうな人だ!
普通のオバサンっぽいところが素敵だ (^^♪

この写真は、2冊に共通している建築の写真を並べてみました。
左がFで、右がM。
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マリメッコの建築家アアルノ・ルースヴォリによるエスポーにあるマリ・サウナ

ここからはFの紹介。
冒頭に出てくる図表:フィンランドの「ランドスケープの形態学的分析」です。
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良く分かりませんが、何となく感じます。

ここでは、自然の造形とガラス工芸・陶芸を紹介しています。
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どれが自然でどれが人工物なのか、分からなくなります。

左上は川を流れる筏で、右下は木の繊維構造。
残る2枚はアルヴァ・アアルトによる曲木の実験。
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伝統的な民家の民具から、近代の(量産)家具デザインへの流れ。

68677853_528899204584278_8124923057002250240_n.jpg
伝統的な木造民家から近・現代の住宅へ。

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あの時フィンランドを訪ねなければ、自分で暖炉を作ろうなんて思わなかったでしょう。

オマケ
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フィンランド北部に住む「ラップ人」の絵文字。
(旅のスケッチブックより)

写真に撮れば一瞬なのに、わざわざ書き写した。
当時の旅は、余裕があったのですねぇ~。


■2018年11月28日

秋の夜長を楽しむには・・・その1:読書編

私はさほど本を読む方ではありませんが、この秋は珍しく数冊読みました♪ それらをコッソリ紹介します。 長いよ(長い夜)!

<中略>

続いて、11/11に訪ねた「アルヴァ・アアルト――もうひとつの自然」展(近代美術館 葉山館)にて、ミュージアムショップで求めた2冊。
【セイナッツアロ役場&夏の家】(右の上)
こちらは、建築を学ぶ学生の頃よりアルヴァ・アアルトは特に興味を持った建築家で、35年ほど前にフィンランドにて彼の作品の多くを訪ね、その中で特に気に入った2つの作品を詳しく紹介しています。
アアルトの建築は首都ヘルシンキ以外にも地方都市や山の中などに散在していて、それらを巡るとフィンランドをおおよそ縦断することになります。
地方都市にはほぼ必ず歴史博物館(≒民家園)があり、その地域の伝統的な民家や暮らしぶりなどを紹介していて、そちらにも立ち寄っているとむしろそちらの方が面白くなってきました。
それは、フィンランドに限らず他の北欧の国々にも多くあり、旅は次第に歴史博物館巡りに移行しました。
実は日本にいても、学生時代に一通り日本全国の主要な近・現代建築を見る旅をしましたが、途中で飽きてしまい、古建築や古い街並みに興味が移った嗜好がある人なので、当然の事と言えます。

そんな北欧の民家や伝統的な暮らしぶりを丁寧に紹介している本が
【北欧 木の家具と建築の知恵】(上の中)です。
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Tag:お楽しみ  comment:0 

プロフィール

ただいま 工事中です♪

Author:ただいま 工事中です♪
縁あって、釜戸の上に移り住むことになった私たち
ゆっくりと時間をかけて、この環境と家の味を噛みしめながら、徐々にその良さを引き出していく予定です。

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